祭りの最終日、集まった数百人の村民たち
殺牛山を駆けるドラ踊り
古い籠は集められ燃される
ジ)の尾羽を頭上に插して声望のある主立ちであることを示した当民族の長老たちであり、ドラを持っている者以外は棕梠の葉扇を持っている。この姿はまさに後代の追儺祭で、労相氏が面をかぶり、衣をまとって踊ったことと何ら異ることのない形式である。そしてまた後の世の「霓裳舞」「神弦歌」と西域の「鉢頭」北斉の「犬面」「蘭陵八陣曲」のいずれもが同様の主旨の祭祀として行われた舞踊である。祭祀を目的としたドラ踊りは、各段落ごとの関連性はいずれも生産歴習俗に応じて素朴に配列されている。生産労働の表現によって大地を讃え、豊作を讃え、人類の生活の進歩と発展を讃えている。その核心的な主旨の中に人類が光明を見い出し理性を獲得するに至った光の屈折が見られる。人が娯しみ神を和める舞踊の中に武骨に祖先崇拝の再現を表わしている。まさにマルクスが述べたように「重要な芸術形式は低いレベルなら発展する」という形で生み出されるのだ。
ドラ踊りは祭祀儀礼の形式をもって伝承教育の役割を荷っている。舞踊表現の内容、動作にかかわらず、古歌の習俗に関わらず、それらはいずれも習俗化し固定した。それらは口頭伝承され、イ族の中で形作られ、簡単に改変することはできず、一定の習俗性を有している。毎年村の主だちが口伝えによりドラ踊りを教え、繰り返しの練習を参加者は怠らず、このようにして主宰者は後継者を養成する、またこの祭祀は人々を団結させる役割も持っている。これは古代の民間の蟷祭(十二月中に天子が月神を祀る大祭)、蟷八節の時に踊る「旌舞」、それに「干舞」を踊りながらの雨乞いの祭り、零祭と似ている。ドラ踊りは、固定的な習俗を用いて火の神(鵲鵲鳥神)を祀り、祖霊を祭祀するものだ。それを用いて「全民族の原始的精神を表現する」ものだ。ドラ踊りは当該民族が素晴らしい願望を祈り求める一つの方式である。当該民族の者たちは仮面をかむった者と一緒になってドラ踊りを踊り、一種深い慰撫の念を感じ、神霊が彼らを守護してくれると信じ、踊りを踊る中で自分たちの才智欲望を表現し、タイマツを振りまわす時に星くずが自らの身体の上に跳ね飛び、あるいは炭火の上を地団駄で踏んでも少しも恐れることなく、始めから終りまで全ての踊り手の足なみは一致している。彼らはドラ踊りを自民族の誇りとしてる。このことと演劇における強固な庶民性とは一致している。ドラ踊りには扮装、動作(象徴的な模倣動作)、場面展開や筋立ての方向性、情緒の指向性がある、その模倣表現の過程の中に定まり事があり、それは演劇表現の形式とみなすことができる。ドラ踊りは古歌と踊り(虚構表現)を含み、功利目的のはっきりした祭祀儀礼であり、そのことがこの踊りを当該民族の者に好ましく思わせ、きまり事として奉らせているところである。
…<雲南省楚雄イ族自治州双柏県文化館>
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